ボチボチ・blog

気ままに 気まぐれに ボチボチ・・・

oto

昨年の秋くらいからピアノの音色が気になって

仕方がない、という話。

 

普段、動画などはほとんど見なかったのに

2021年秋、偶然ショパンコンクール

反田さんの画像を見かけたのを機に

どハマりしてしまった。

 

この時に初めて知ったピアニストは

風貌が二十代には見えなかった〜(笑)

ある程度の年齢に見受けられる方が

ショパンコンクールに入賞ってどーいうこと??

ショパンコンクールって年齢制限なかったっけ?

ということで動画を見たところ

「Bravo!!!」

と思わずつぶやいてしまうくらい素晴らしく

そして当然なのですが、

まだ20代だったと知って更にびっくり。

あの姿は戦略も兼ねてだったとは。

新しい世代の日本人ピアニストたち、

どうやら面白い事になっているらしい♪

 

そこから小林さんなど、芋づる式に

次々と国内外のピアニスト達の現状を知り、

演奏を拝聴、拝見していくことになるのですが

どれもこれも凄すぎる。素敵すぎる。

日本のピアニストの方がこんなに凄い事になっているとは。

で、ドップリ音の世界に沼のようにハマる(笑)

 

今までも楽器の音には興味があったので

たまにコンサートホールに足を運ぶことはあったし

作品を作る時など、その時の気分で音楽をかけたりする。

が、美術館ほどの興味ではなかったかもしれない。

 

しかし、ここ数年、美術館に行かれなかったり、

行きにくい状態が続いていた最中

家でショパンコンクールをはじめ

素晴らしい演奏が気軽に聞けるのは

とても新鮮で凄いと思う。

 

が、ハマればハマるほど

やはりスマホやパソコンから発せられる音は

電子音であって、限界があるというか

本来その場所で直接耳にしたり体感する音とは

何かが違う。ずっと聞いてると

頭のどこか奥の方が緊張しているような

キンキンした金属的な何かを感じるような

感じないような。。。?

 

それでも演奏や楽器が本当に素晴らしいであろう事が

よく分かる。だから聞いてしまう。

 

しかし。。。やはり電子音の壁がある。

ような気がしてならない。

何が違うのかは自分でも分からないけど。

この感覚にマヒしないよう抵抗する感じと

慣れちゃえば気にならなくなるかも

との間で行ったり来たり。

個人的にはCDで聞いた方が

まだ少しは良いような気がしてきた。

 

コンサート行きたいけどチケット取れない〜(笑)

半年近く先のスケジュール入れるのも

どーも気が重い。

美術館みたいにフラリと気の向いた時に行って

素晴らしい演奏が聴ける場所があればいいのに。

と切に思ったりする。

 

結局、脳みそで凄い音楽を聞くなら

スマホなどでも全く問題ないし便利だけど

私が求める”音”に対する何か、例えば

心を潤す、とか細胞に浸透する感じとか

の場合、直接耳から入る音色などとは

影響が違ってくるのかも?しれない。

などと思ったりする。

 

美しい音は、耳で聞くだけでなく

全身で浴びる、浸かる、

体感するものだと思ったりする。

これは美術館や、素晴らしい絵の前に

立った時の感覚と同じ(笑)

 

そんな思いを持ちつつ、

同じ曲を聴いても、弾く楽器や人間によって

何でこんなに違う?不思議すぎる。

目に見える絵画や彫刻と同じくらい

目に見えない”音”に興味にも対象が

移りつつ、興味津々な今日この頃です。

 

そんな頃にフと目にした本2冊。

ちょっと怪しい雰囲気も醸し出しつつ

素通りできなかった(笑)

 

聞こえない音のヒミツ 

『量子場 音楽革命』

 光一X HIRO Nakawaki

 

恐ろしいほど願いが叶う

『音と声の呪力』

秋山眞人

 

まだ途中までしか読んでないし

100%凄い本、として人にすすめようとは

思ってなかったりするが

知らなかった音の領域の扉が

ギーっと少し開いたようで、興味本位に

そーっと片足を踏み入れてるような状態(笑)

 

怪しい。で片付けることもできるが

しかし、肌感覚で何となく理解できているような

拒否できない何かがあるのかもしれないと思ったりする。

 

昔、ピアノを習っていた時の事、

ストラディバリウスの音色を生で耳にした時の事、

大好きな演奏家のチェロやピアノの音色などなど

改めて、自身の音からの影響力を再確認しつつ

今これらの本を読み進めていく中で

人の歌声、言葉、普段話す声にも

少なからず無意識のうちに何かを

感じ取っていたような気がする。

改めて気にしてみると、自分の体験の中から

何かが浮上してくるような気もする。

 

今でこそ絶対音感などない人の方が多い

と知っているので自分にそれがなくても何とも

思わないが、成人してもしばらくは

自分が欠陥人間だと思っていた(笑)

 

昔、音楽教室では周囲にスッゴイ人が沢山いて

ピアノを背にして半円に生徒が集まった状態で

先生が5つ、6つの音を

白鍵、黒鍵なんでもアリの思いつきで一度に

ジャーン♪と音を出すと

当然のようにスラスラと音を言い当てるのを横目に

私などは相対音感くらいしかないので

(今ではそれすらも怪しいが)

何度も聞き直さないと、時には何度聞いても

ゼンゼン言い当てられない。

言えた人から席に着くので

いつも最後の方まで残されて

屈辱的というか、悲しいというか

ゼンゼン音を楽しむ本来の音楽

ではなく、いつしか音が苦の方の

音苦となってしまった。

 

カラオケなど行ったりすると

少しくらい音が外れていても、みんな楽しそうに

歌っている一方で、いつも何の音か

聞き取ろうとするクセが取れず、

あ、何調に転調した、

これは何拍子、何調の曲などと

音楽教室の試験を受けているかのように

息苦しくなってしまう事に気がつき

カラオケは全然楽しくない。

音がコンプレックスになるなんて。

 

リラックスするために音楽を聴くなんて

自分にはありえない。

という思いがずっとあった状態を経験しての

今。なので、音には人一倍

何かあるような気がしているのかもしれない。

しばらく忘れていた苦々しい音の感覚を

新たな領域へと変換させて

掘り下げてみるのもいいかも。

楽しい深掘りアイテム一つ発見。

くらいの気分で少しずつ読んでいる本2冊でした♪