ボチボチ・blog

気ままに 気まぐれに ボチボチ・・・

ナゼだろう?

と自分でも思ってしまう。

 

「私がブログを書く理由」

やはり目にとまる。気になる(笑)

ずっと見ないふり、気が付かないふりをしていたのに(笑)

 

今まで気にした事がなかったけど

今回、自分でもなんでだろう?

と改めて思ってしまった。

で、少しばかり考えてみたところ。。。

 

日常で感じる季節の移ろいとか

心の機微を書きとめるメモ帳的な?

 

印象的だったり、キラリ輝く出来事に遭遇した時

その感覚を文字や言葉に変換して

記録しようと思うと意外に難しく、

限界があるように感じてしまうのだけど、

そこをどうやって敢えて言葉にするかを

試行錯誤しつつアウトプットすることで

何かがクリアになるというか、感性や感覚を

整理して空きスペースを作るような感覚?

 

文字にして、それを自身の目で確認して

そこから浮き上がるモワモワした何かを

面白がっているような感覚?

 

強いていうなら。。。

 

短歌や俳句のように、文字数や

細かなルールなど、制限があるからこそ

独特で豊かな何かが出現する場合もあるような?

と、短歌も俳句も嗜まない人が

分かった風なことを言っているが。

ちなみに母の趣味が短歌だったりする(笑)

 

本来、経験した感覚を

自分だけで楽しんで完結するのであれば

文字も言葉などは必要なく、何も制限などなしで

サラッとフワッとスルッと流せばいいのだが

日常で他の人が関わってくるとそうはいかず、

何かを伝えたり、共有しようと思ったら

言葉や文字というツールを使わなければならない。

 

言葉の枠を超えた感覚を表現するために使う

言葉や文字は、制限や決まり事?

時にはハンディのように感じてしまうことも

あるような、ないような。

 

もどかしい言語の中からアレコレ模索して選んで、

という作業を

“見えない何かをどこまで文字に変換できるかゲーム”

として楽しんでいる感じ?

試しつつ、実験、練習の場として

利用しているような気がしないでもない。

と言った個人的なblog事情。

 

人のためとは言い難い。

たくさんの人に見てもらいたいとか

見て欲しくないとかは、あまり興味がなく、

しかし、これだけの大量の情報の中で

偶然ご縁があってご覧いただけた方には

ホッコリ温かい気分にさせて頂いているので

ありがたく思う気持ちが大きかったりもします。

 

もし何か得るものがあったり、

楽しんでいただけたのならそれは嬉しい限りです。

しかし人のお役に立つため、と意気込んで

それを動機にBlogを投稿する事はないです。

 

いつも思うのですが、

偶然ふと目に止まったものに、

何かのヒントが隠れていたり、気付かされたり、

大切な情報が詰まっていたり、ということが多いのです。

必死になって探したり、あなたのために、と

差し出された情報の中には、意外と

本来欲しかった何かは存在していないような

気がしています。

 

このブログも、そんな方がフラリと気が向いた時に

とか、偶然目にしてサラッと、くらいの感覚で

読んで頂けるような存在としての立ち位置が

ちょうどいいのかもしれません。

 

脳みそで考えるというよりも

なんとなく感覚で続いている感じ。

もし、今すぐ全部が消えてしまっても大丈夫。

あってもいいし、無くてもいい。

この先も続けるか飽きるのか

自分でも全く予測ができない状態です(笑)

 

 

ということで、私がブログを書く理由が

自分でも気になってしまい、少しばかり考えてみたら

こんな言葉と文字が出てきました(笑)